動物を飼うことは難しいです。
ご飯やトイレのお世話はもちろん、散歩や外出などの遊びだって必要です。
病気の予防も必要だし、もし病気になれば適切な処置をしなければなりません。
いろんな予備知識が必要なのですが、たいていの場合はそういったものなしに動物を飼い始めることになります。
それはこの世に生まれてくることや結婚なんかとよく似ているのかもしれません。
そこに事前のインストラクションや説明書は存在しません。
それは死も同じです。
ある日、愛犬が亡くなってしまう。
それは家族を亡くすことと同義です。
死に対して人はいつでも準備不足で、素人です。
自慢じゃないですが、僕はつい2年前まで周りの人間はほとんど誰も亡くなっていませんでした。
死にまつわる記憶といえば、せいぜい曽祖母のお葬式ぐらいです。
ところがまるで呪いのように、この2年で周りのたくさんの人が亡くなっていきました。
親戚、友人の母、生徒さん、愛犬。
そのたびに僕は素人になり、そして少しづつ後悔が増えていきました。
「もっと会うべきだった。」「もっと優しくするべきだった。」
先日、生徒さんの愛鳥が亡くなったことをお聞きしました。
元気がなかったので病院に何度も連れて行って、
いろいろ手を尽くしたのですが、ある日家族が見守る中、手の中で亡くなっていったそうです。
生徒さんは病院に無理して連れて行ってストレスを与えなければ、
こんなに早く亡くならなかったんじゃないか、と後悔していました。
でもおそらく病院に連れて行かなかったら、それで違った後悔をしていたはずです。
僕には想像することしかできませんが、
生徒さんの愛鳥は最後に家族の見守る中、あたたかい手の中で安心したんじゃないか、と思います。
そして心残りがなくなって、旅立ったんだと思います。
それは幸せな最期だったと思います。
誰かの死は多く経験したいものではありません。
でも長く生きていると、きっと数多く経験してしまうものなんでしょうね。
それを経験してきて、たくさんの後悔を抱えながら、それでも笑って生きている人たち。
すごいなあ。